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フヂハラジロー 弓道のおやつ

高知で弓を引いています。

弓道練習日誌 その6

弓日誌

 眠い目をこすりながら更新。でも今日の言葉をつづらないと記憶の鮮度が保てない。明日ではない。今,書き留めておくことが大事なんだと思う。特に今日のキーワードは。

 

 僕の射の大きな癖の一つとして,大三から引き分けに移行する際,どうしても肩に力入ることがある。肩に力が入ると,引き分けの左右のバランスが認識できないばりか,離れを出す方向もバラバラとなり,あまり良い結果は出ない。

 

 ただし,若い人(特に学生)は肩を決めて引く人が多い。(個人的な感想ですが)肩に力を入れて肘の位置を決めて,同方向に離れを出すという作業で的中を量産している。しかし,この芸当は若い時の柔軟な関節や感性があることにより達成できるものであり,30歳を超えるとこれが難しい。

 

 端的に言えば,若いころの引き方や感覚では的中できないとうことだ。僕は,いままでがちがちに固めてきた射を解きほぐして,もとの正常な状態に戻すことが必要とされている。

 

 僕の場合であれば,肩に力を入れない,手先に力を入れない,肘を伏せないことが主な課題だ。これらは,すべて「しない」ことだ。しかし,先生は「しないことはできない」とおっしゃった。一瞬「?」と思ったがすぐに理解した。

 

 つまり,どうすれば肩に力が入らなくなるか,どうすれば手先に力が入らないようになるか,どうすれば肘を伏せなくても弓が引けるかを考えよということだ。「しない」ではなく「何かをすることによってその癖を起こさないようにする」、もっとシンプルに言えば、「様々な部分を修正することによって自然体に近づけていく」ということが大事。

 

 そもそも,自然体自体が人それぞれ。人はみな力の使い方や体格は千差万別。僕が弓を引く原理原則の中に,「しないではなく,しないために何ができるか」「形ではなく働き」の2つの軸を中心に据えようと考えている。迷ったときには,この原則に立ち返る。

 

 オイゲンへリゲルが著した「弓と禅」の中で,このような描写があった。しばらく前に読んだ本なので,記憶があいまいだがへリゲル氏の射癖として肩に力が入るというものがあった。しかし,肩の力を使わずに弓を引くことが果たしてできるのだろうかという疑いもまた彼は持っていた。そこで,当時の先生であった阿波研造先生に肩の力なしにどうようにして弓を引くのかがわからない。本当に肩を使っていないのかと問うた。

 

 そこで阿波研造先生は,自ら弓を引き,会の時点でへリゲル氏に自らの肩を触らせた。そのときの肩の触感が,まるで力が入っていないような感じで非常に驚いたと記していた。

 

 肩の力は,弓構えの時点で入り始めている。確かに,何事も最初が肝心。もっと力を抜いて,力を抜くためには何をすればよいのか。日ごろの練習で追究してみようと思う。